こんにちは!

 

前回に引き続き、今回もマイケル鶴岡さんにお話を伺いました。

 

前回の内容はこちら→

「ソウルダンスって何?マイケル鶴岡さんにインタビュー!①~ソウルダンスの歴史~」
https://mimic-studio.com/blog/soul_interview1/

 

前回はソウルダンスの歴史について様々なことを教えてもらいましたが、今回はマイケル鶴岡さんとソウルダンスの出会いついて詳しく聞いていきます。

ぜひ最後まで読んでくださいね!

 

 


マイケルさんのご出身って東京ですよね。


そう、生まれは練馬。育ちは杉並。僕が杉並区にいたのが高校生ぐらいの頃だから、杉並区に行くか、練馬にいるかぐらいのときに、ディスコデビューがあるわけ。14、5歳だね。

 

 

 

ディスコデビュー早いですね。


早いよね。それはね、悪い先輩がいたの。まあ、自分が悪いから、そういう先輩がいるのかもしんないけど。高校生の先輩から「お前、ディスコ行ったことあるか?」って言われて、「いや、なんすか、その、ディスコって…」「なんだ、お前、ディスコ行ったことねえのか。じゃあお前、連れてってやるよ、2000円握りしめてこいよ」なんてやり取りがあって。
先輩についていって、行ったのが新宿のゲッターって店。そこは、もうほんとに50人も入るとぎゅうぎゅう詰めみたいな、20坪ちょっとくらいのお店。

みんな若者で中心は20歳以下だよね。だから、当時の新宿のディスコは、結構健全な方だった。12時閉店だから。他の六本木とかのディスコだともう朝までやっているんだけどね。

新宿のディスコは17時から入ると入場料が500円ワンドリンク。15~17時に入ると300円でワンドリンクついてくる。だから、17時までに何とか入ろうとするんだよね。でも、学校があるから、学校終わって家帰って着替えてから行く。学生服じゃディスコは入れないからね。5時までに行こうとなると、結構忙しいわけさ。

 

 


そうですよね、杉並から新宿に行かなきゃですもんね。


そうそう。それで、17時までに入って、なんとか300円ワンドリンクで12時までずっと粘っているわけ。

お客さんの年齢も若かったけど、従業員も若かったね。1番偉い経営者だとか店長だとかいうのが20代後半ぐらいで、あとは、もう20歳とか22とか、そういうのが従業員。

当然、従業員もみんな踊りが好きなわけで、うまいわけよ、慣れているから。そういう人たちがたまに、20時とか22時とかの1番いい時間になると、ショータイムみたいなのを始める。従業員だけでチームを組んでステップを踏んで見せるわけ。みんなそれを目当てに行く。新宿はそんな感じだな。

 

さっき先輩から2000円持って来いよって言われたって言ったけど、なんで2000円かっていうとね。500円はディスコで使っちゃうわけじゃん。で、ディスコにもうずっといるから腹減っちゃうわけよ。目の前に立ち食いそば屋があったから、そこで200円か300円でそば食って、また戻ってきて。あとは電車賃とか払うと、2000円でお釣りが来るぐらいになるんだよね。

 

 

 

全部含めて2000円なら、結構充実していますよね

 

半日遊べるからね。本当は1回入ったら出ちゃいけないのよ。だけど、何回か行くうちに、お店の人と顔見知りになったりして、「すみません。ちょっと飯食ってきます。もう15分で帰ってきますから」って言って、「やろう、早く帰ってこいよ」なんて怒られながら、飯食いに行って、戻って半日遊んで、終電で帰ってくる。

 

 

 

ディスコにはよく行っていたんですか?

 

最初は先輩と一緒にしか行けないから、先輩が行くって言ったときに連れていってもらっていただけなんだけど、だんだんお店の人と顔見知りになったら一人でも行けるようになって、反対に自分がディスコ知らないやつをよく連れて行ったりしていたね。しまいには、もう学校に行くように、毎日行っていた。

 

学校から帰って着替えてからディスコ行くと、17時過ぎちゃうかもしれないから、もう学校に私服を持ってくわけよ。駅のトイレで着替えて17時前にディスコ入るわけ。
それがもっと早まって、開店する15時より前に行くようになる。なぜかというと、開店のお手伝いをするためなんだよ。ちょっと掃除したり、灰皿並べたり、コップを拭いたり、簡単な作業して、「15時になりました。開店します」ってときに、300円払おうとすると「あ、いいよいいよ。今日手伝ってくれたから」って言ってタダで入れてもらえる。「いいですか。あざす」とか言いながら、それ狙いで早めに行っていたんだよね。

 

 

 

もともとマイケルさんは黒人音楽や文化に興味を持っていて、そのときに先輩にディスコに誘われて、ソウルダンスに出会ったとプロフィールに書いてあったと思うのですが、当時黒人音楽は流行っていたんですか?

 

流行ってないのよ、全然。日本でかかるのは白人音楽ね。いわゆるロックとかポップス。映像でもあんまり外国の映像って見ないし、せいぜいビートルズとかその程度なのよ。

 

中学2、3年になると受験勉強するじゃん。受験勉強をしていますよという体で、家の自分の部屋でラジオの深夜放送聞いていて、いろんなチャンネルを回していくうちに米軍基地から発信している局も見つけるわけよ。全部英語で何言っているのかわかんないけど、音楽もかかるわけ。音楽ばっかりの時間帯もあったり、なんか喋っている途中で音楽が挟まったりとかがあるわけ。
その米軍基地のラジオは比較的黒人音楽が多かったと後でわかったんだけどね。ラジオを聴いているうちに、なんか引っかかる曲があるわけよ、自分の中で。アメリカで流行っていたり、軍の中で流行っていたりすると、同じ曲が何回もかかるわけ。2、3時間勉強していると「あれ、またかかった」って、気になっている曲だからちょっとよく聴いて。

最初は何言っているのか全く分からなかったけど、何度もかかるうちにだんだん探るようになって「ああ、テンプテーションズというグループのマイガールって曲か」ってわかるようになる。

それで、そういう気になる曲が何曲かあって、ディスコにも行っている先輩に聞いたら「なんだお前、マイガール知らないのか。ステップはこうやるんだよ」とか教えてもらって何曲か覚えていくわけよ。それが始まり。

 

 


 

今回はマイケル鶴岡さんとソウルダンスの出会いについてお伺いしました。高校生のころからディスコに通っていたなんて驚きですね!とても楽しそうだなと感じました。

次回はソウルダンスのコンテストについて、そしてマイケル鶴岡さん、ニック岡井さん、ドン勝本さんらで結成したダンスユニット「KING OF SOUL」について詳しくお伺いします。お楽しみに!