こんにちは!

前回に引き続き、今回もマイケル鶴岡さんへのインタビュー回です。

前回の内容はこちら→
「ソウルダンスって何?マイケル鶴岡さんにインタビュー!②~ソウルダンスとの出会い~」
https://mimic-studio.com/blog/soul_interview2/

第1回はこちら→
「ソウルダンスって何?マイケル鶴岡さんにインタビュー!①~ソウルダンスの歴史~」
https://mimic-studio.com/blog/soul_interview1/

 

前回はマイケル鶴岡さんとソウルダンスの出会いについて教えてもらいましたが、今回の内容はソウルダンスのコンテストやテレビ番組出演について、そしてマイケル鶴岡さん、ニック岡井さん、ドン勝本さんらで結成したダンスユニット「KING OF SOUL」についてです。ぜひ最後まで読んでくださいね!

 

 


ソウルダンス、ディスコのダンスコンテストって、どういうものなんですか?

 

あっちの店、こっちの店でさ、踊りがそこそこ上手いやつらが何人かいるわけさ。そういう従業員とか常連客がお互いに繋がっていたりする。お店同士も繋がっているし、その踊っている従業員たちも繋がっているし、友達同士だし。
それで、じゃあ今週こっちの店行こうぜとか、あっちの店行こうぜとか言ってお客さんが集まってお店が盛り上がるようになる。そしたら、そこの経営者たちが「じゃあ、もう賞金出してダンスコンテストやろうぜ」みたいになったのが始まりで、最初はもう、5人、10人とかの規模。

 

 

 

そうなんですね。

 

そのうち、ラジオ局だとか。テレビ局だとか、あとは、スポンサーとかがついて、だんだん規模が大きくなって。
最終的には、全国ソウルダンスコンテストみたいなのができて、審査員にちょっと著名人とか名のある芸能人とかそういうのが来たりした。
のちに、全日本でチャンピオンになったやつは、世界ディスコダンスコンテストに出場できますってなって、その時に1位になったやつは、僕と同い年で22、3歳の頃から、世界のダンスコンテストに行って、1位になった。

 

 

 

えー世界で、すごいですね。

 

その人は大阪のTEDDY DANっていう人。その人が第1回世界ソウルダンスコンテスト優勝。
だからそこまで規模は大きくなっていたんだね。

最初は5人10人の従業員の集まりとか、よく来る常連の上手いやつが「おい、お前も出ろよ」みたいに言われてコンテストしてた感じ。賞品も店のボトル1本とかその程度だったのが、だんだん大きくなって、テレビだとかさ、そういう扱いになって、ゆくゆくは世界に行くようになったのよ。

 

 

 

世界まで。
マイケル鶴岡さんもソウルダンスのテレビ番組に出ていましたよね。

 

ソウルとんねるずっていうとんねるずの番組だね。
『とんねるずのみなさんのおかげです』とかいう番組があって、そこの1つのコーナーに、ソウルとんねるずっていうのがあった。とんねるずもいうてディスコ世代なのね。あいつらと5個ぐらいしか違わないんだよ、俺。

それで元々交流はあったから「今度こんなのやりたいっすよね」「やりましょうよ」とか言ってノリで始まったコーナー。
じゃあ普通のダンスコンテストやっても面白くないから、出場者の資格は30オーバーにしましょうと。その当時30歳って言ったら、もうおじさんおばさんなわけよ。そのおじさん、おばさんが、昔取った杵柄でね、どんだけ踊れるかっていう面白さを出しましょうよっていうような番組をやって、結構ウケた。

最初は東京にみんな集めてやっていたのが、大阪大会とか東北大会とか、今度は番組が行って、その地元の人を集めてやりだしてさ。
そうすると、今度こっちの地域の優勝者、こっちの地域の優勝者って出てくるじゃん。またそれで全国大会みたいなのやったりして、グランドチャンピオンを決める。そうそう、グランドチャンピオンになると、金のアフロがもらえるとかね。そんなコーナーがあったんだよ。

俺らはその当時はもうKING OF SOULっていう3人のおじさんのグループを組んでいたんだけど、審査員で出て、ちょっと踊ったりもして、そういうお笑いコーナーに出てた

ちょっと上手い人もいれば、おちゃらけたりしている人もいて、それが結構続いたんだよな。2クールぐらいやったか。あれ、大変なんだよ。もう4本取りとかやるからさ、もう朝から夜10時ぐらいまで拘束される。

 

 

 

大変ですね。

 

あれの流れでAKBのハロウィン・ナイトの出演の話が出た。
当時の番組のADが今プロデューサーになって、AKBのPV撮影で呼ばれた。AKBが昔のイメージの曲をやったわけ。そこには、70’sダンスが欲しいと。リアルな70’sダンスを踊れる人たちを集めたいと、そういう依頼が来てね。

現代でも、そういう昔のテイストでやりたいみたいなのがあるんですね。

そう、アメリカ本土でもそうなんだけど、昔の音をサンプリングで使ったりとか、そういうのが流行りというか、主流みたいなのもあって、日本でもちょっと回顧録じゃないけど、そういう音作りとかもするんだよね。

番組作るときとかに、力持っている人たちが僕らと同じ世代だったりして、ディスコとかそういうのが好きなわけ。だから、コマーシャルソングで古い曲が使われたりとかしていたんだよね。今は俺らの年くらいの人は多分もう引退しているけど、僕らが50代ぐらいの時は、プロデューサーとか、制作部長とか、お偉いさんになってて、じゃあこの曲使おうって言える力を持てた。

 

 

さっき、KING OF SOULのお話もあったので、そこについてもちょっとお伺いしたいのですが、まずKING OF SOULを結成したきっかけは何でしょうか?

 

えっとね、1980年代半ばぐらいなんだけど、ソウルダンスとかディスコっていうのが、ちょっと衰退してきた。しかも、ディスコもなんかフウフウ言っているだけで、ディスコダンスとかソウルダンスとか関係なくなっちゃってきていた。だから、もうクラブになりつつあったんだよ。

その当時、ダンステリアという昔のスタイルを復元したディスコをやっていた勝本さんっていう人と、僕がゲットというお店に行き始めた頃からのカリスマDJ、ニック岡井さんという人がいたわけ。

その2人と僕は、共通の繋がりを持っていて、のちにニック岡井さんは、その勝本さんのお店でDJをやるようになり、そのお店の始まりが、84年かな。その何年後かにディスコダンスがなくなってきたことを俺らはちょっと懸念するというか、寂しいよねっていう話になって。「最近のディスコ、なんとかしないとまずいんじゃないですか。このまま忘れ去られちゃいますよ」っていう話から「じゃあ、俺らがなんとかしようよ」ってなった。

勝本さんは、ディスコ以外にプロダクションとかやっていて、テレビ局との繋がりもあったから、なんか仕掛けた方がいいんじゃないですかみたいになった。そこで、いろんな営業に行ったりとか、テレビ局から仕事をもらったりとかの中で1つ、『ダンスダンスダンス』っていう番組発案して、テレビ局で通って、若かった頃のダウンタウンを司会に使い、我々KING OF SOULが出て、あとは勝本さんの事務所に当時いたTRFのSAM。

その番組のコーナーの中で、昔のスタイルっていうのを俺らが踊り、同じ曲で今はこんな感じっていうのをSAMのチームが踊り、昔と今の違いっていうのを見せようぜということをやってた。

 

 

 

もう結成した時からソウルダンスを伝えていこうという目的があったんですね。

 

そうそうそう、さっき言ったように衰退していたのよ。ディスコもすっげえ大箱になっちゃって。ジュリアナみたいなさ。お姉ちゃんがボディコン来てお立ち台乗って。それもうダンスじゃねえべって。

だから、そういう番組とかをやればさ、これ全国ネットだから、何年に流行った何という曲で、何というダンス名ですというところまで出して、その踊りを踊って、それが今ではちょっと変化して、こういう形で踊られてますみたいなところをやりたかったんだ。それでまたソウルダンスが再加熱したかというと、そんなことはないんだけど、火が消えない程度に、続いているという現状です。

 

 

 

そうなんですね。ソウルダンス自体はずっと続いてるんですね。

 

そうですね。だから、それはそれで続いていてソウルダンスのイベントでだけやっている人もいれば、スクールの先生としてソウルダンスを教えている人もいる。そういう先生たちもソウルダンスの系統は継いでいるわけさ。だけど、今のスタイルとして、だんだん退化しているのか、進化しているのかわかんないけど、全然新しい踊りもあったりする。

これは昔からやっているよねって同じ名前で引き継がれているのもあり、同じスタイルで違う名前になってるのもあり、いろんなスタイルになってソウルダンスとして引き継がれてはいます。
だから、ダンス教室のいろんなジャンルの中の1つにソウルダンスというカテゴリーもあるんだけど、それが俺らの言っているソウルダンスかというと、ちょっと違うよねっていうのもある。

 

 

 

違いが出ちゃうっていうのは、地域ごとに違いがあったりするんですかね?

 

それはほら、ソウルダンスも時代を超えていくわけじゃない、当然。こっちの先生はこうやって教えていたよと、でもこっちの先生はこうやって教えているなっていう違いが出てくる。

だけど、もともとの違いが出た理由でいうと、東京がもう発信地なんですよ。で、「東京でお前、ディスコ流行ってんべ」みたいな地方のがいるわけよ。「行ってみんべよ」って言って、田舎からディスコ来るわけさね。その時は今みたいに動画撮って帰ってからみ見よとかさ、そういうのができない。目で覚えて帰るわけよ。
それで、持って帰りました。こうやっていた、あれ、こうか、違うべか、違う、こうだってよなんて言って、だんだんちょっと違ってっちゃう。

だから、東京に見に来てダンスを持って帰った関西のやつが、間違って覚えちゃったってなると、関西でそれが広がる。今度、福岡のやつも「お前、こうやってやっていたんだよ」とか言いながら、地域ごとの若干の違いが出ちゃう。
東京の踊りを見て持って帰るんだけど、ちょっとずつ違ってっちゃう。東北だ、関西だ、九州だって言って、それが引き継がれていっているわけさ。
今では、チャチャはこうだべとかさ、もう地方各地で言い出しているわけよ。

で、それをちゃんとしましょうねという、ソウルクエストっていうね、番組も今やっているわけ。というのも、僕はレジェンドではないんだけど、僕の先輩のレジェンドたちは本当の日本のソウルダンスの始まりの人たちだから、そのレジェンドを生で見ている僕は、「本当のチャチャはこれです。本当のソウルCCはこれです」ということを伝えられるわけです。

だから、今のYouTubeとか見るとさ、「なんだこのソウルCC。こんなの教えてんの。」とかを感じる。で、これがこのまま行っちゃったら、とんでもないことになっちゃうから、今、直しておかないとって思った。

いいんだよ、違う踊りで流行っていく分には。だけど、これがソウルCCですって言われちゃうと、僕としてはちょっと困っちゃうわけよ。僕らと同じ世代の人でも、そういうのを見て、「マイケルさん、この動画見てくれ、これでいいんですか。」って言われちゃうと、「だよね」となるから、懸念していたところなんだよ。

踊りの違いはいいけれども、その発祥とかね。そういうところは、ちゃんと知っていてもらいたい。こういう歴史を経て、僕たちはこういうスタイルで踊っていますは、もう全然結構です。
でも、知らないでやっている人たち、いっぱいいるからさ。

 

 

 

すごいですね。もうKING OF SOULの結成からずっとソウルダンスを伝えていこうというスタンスでマイケルさんは活動されているんですね。

 

うん、まあね。綺麗に言えばそんなとこ。

 

 


 

全国大会、世界大会が開催されたり、テレビ番組でコーナーができたりと、当時のソウルダンスの盛り上がりがよくわかりますね!

そしてKING OF SOULを結成するなど、30年以上ソウルダンスを後世に伝えることを目的に活動しているマイケル鶴岡さんたちはすごいですね!

次回は、マイケル鶴岡さんから見たソウルダンスの魅力と、これからソウルダンスを始めようとしている人に向けてのメッセージをご紹介します。
ぜひご覧ください!